「祈り」とはなにか

「祈り」とはなにか「祈る」という行為にはどんな意味があるのか

ご覧頂きましてありがとうございます。

この時期は初詣等で神社仏閣に赴く機会も多いと思います。

改めて「祈り」とはなんでしょうか。

祈るという行為は普遍的で、日本だけでなく、世界中で行われています。

それは一般的には神仏や自然、祖霊といったものに対して行われ、

地域、思想によっては生活の中心になっている場合もあります。

ではそこまで生活に根差し、日々当たり前のように行われている

「祈り」という行為はどんな意味を持つのでしょうか。

 

いのるの語源は

「意」を「宣せる」こと

自分の意志をしかるべき場所で宣言することを意味するとあります。

神社仏閣などで祈るというのは、お願いをする場というよりは、

これからご自分が行っていくこと、挑戦したいことを宣言する場ということになります。

お願いだけでは依存の精神になります。

宣言することは主体が自分にあり、その加護をいただく

ここは物理次元のため、自分で行動していくことで、神仏や高次の存在からのサポートが入ってきます。

そしてもう一つの「祈り」の意味は「感謝」です。

「神恩感謝」という言葉がありますが、

日々に感謝すること、参拝の機会に感謝することを言いますが、

これは「今」に感謝することに通じるのではないでしょうか。

神道には「中今」という言葉があります。

今この瞬間をさして、時間的、空間的な意味を複合的に持ちます。

スピリチュアル的にも今に生きるという言葉がある通り、

今の積み重ねによって、未来が創造されていくと言われます。

今に感謝が向けられるということは、

その次の今も感謝できる今が訪れる。

どこに意識が向いているか。というあらわれだとも言えます。

 

改めて、私が感じる祈りとは、

前述の通り、神仏への依存ではなく、本来の自分に戻っていく

自分の力を取り戻していくことだと感じます。

祈ることで、自分の中の神聖さを取り戻していく。

本来レムリア、アトランティス時代の寺院といわれる場所は、

そういった神聖さを取り戻す場所であったとも言われています。

例えそういった場所に今赴くことが出来なくても、

手を合わせてそこに意識を向けながら祈ることで自分の中の

神聖さにも繋がっていきます。

そして神社では鏡をご神体として祀っています。

カガミに映る自分の我(ガ)を手放していくことで、カミになるということ、

本来誰もがそういった存在なんだよという事をあらわしているのではないでしょうか。

我(ガ)とは執着やエゴ、古い習慣や観念といったもの

それらを今手放していくことで、本来の自分、ハイヤーセルフとして生きる

これからの風の時代は各自が創造主となり、創り上げていく時代になっていくのだと感じます。

ピンと来られた方はお祈りする時に上記をちょびっと意識して頂くとまた感じ方も

変わってくるのではないでしょうか。