日本の原点「日高見国」とは

日本にかつて存在していた日高見国とよばれていた場所をご存知でしょうか。

日高見国とはその名の通り、日が高く見える国、太陽が高くかがやく場所を指しています。

古代より世界各地で太陽は信仰の対象とされ、太陽の方角を目指して、人々は東に向かっていったとされています。

今、日本が世界のひな形で、始まりの地とも言われているのは、

日本が極東にあり、日の元であること。

そして世界で一番続いている国という点もあげられるのではないでしょうか。

「日高見国」は古事記以前の文献にも書かれており、

実際に「大祓詞」にみえる「大倭日高見国」は、西の大倭(大和を中心とした国)と

東の日高見国を合わせ、当時の日本を表している言葉とも捉えることができます。

では、日高見国とはどのあたりの地域をさすのでしょうか。

『常陸国風土記』ではその場所は常陸国と書かれており、

常陸(ひたち)は日立と文字通り日の立つ国と言えます。

その他「日高」「日田」「飛騨」「肥田」といわれる場所も関係している場所であり

世界遺産になった青森の三内丸山遺跡から関東地方の広義では東日本を時代によっては指すと考えられています。

以前ブログに書かせて頂いた、愛知県の篠島を訪れた際に伊勢神宮と繋がり、そこから再度伊勢神宮を巡り、

さらに富士そして今回の日高見国へと繋がりましたので、今回は特に日高見国の現在の茨城・常陸国に焦点をあててお伝えします。

大甕神社(大甕倭文神宮)

主祭神に 建葉槌命(たけはづちのみこと)、地主神の甕星香々背男(みかぼしかがせお)が祀られています。

甕星香々背男が当時のこの周辺の日高見国の長をされていた人物もしくは役職名だと思われます。

その名から星神を信仰していた部族ともいわれています。

歴史は勝者側の立場から残されるため、まつろわぬ神という表記で残されたり、大倭国側からの使者建葉槌命が平定した形で歴史が残されています。

最近では、映画「君の名は」ともリンクする場所です。

君の名は飛騨も関係がありますので、映画を通して日高見国や古代真実、縄文文化などのメッセージをのせていると思います。

日高見国の詳細も当然ながら残されず、都合がよろしくない事実は消されてしまうもしくは書き換えられることは少なくありません。

しかし、驚くことに境内にはこのような看板があり、その後ろには大きな磐座があります。

それが宿魂石といわれ、古代の「大倭国」とその東に位置し「高天原」とも例えられる「日高見国」との境界になっていると書かれているではありませんか。

この地域を今でも護り、氏子をはじめとしたみなさまが大切にされていることが実際に赴くことでわかりました。


泉神社

大甕神社に近くには泉神社があります。

泉が森というとても綺麗な泉が湧く場所です。

主祭神は天速玉姫命。

天速玉姫命は記紀には登場しない神で、大井という湧泉が神格化したものと言われています。

瀬織津姫やミヅハノメといった日高見国での水神の役割をもった役職もしくは人物だったのではないかと推測されます。

人が生きていくために一番大切な水。

その綺麗な水が湧くこの周辺が、恐らく中心地だったのではと感じました。

日高見国は、広範囲でいわゆる縄文早期の1万年前から弥生時代までの長い間栄えていたエリアと思われるますので、

青森の三内丸山遺跡から茨城にも常陸多賀という地名があるところみると、宮城の多賀城周辺などなど、

時代や時期、気候変動などにより南下していったか、同時に栄えていたなどが考えれるという感覚を実際に訪れることで受けました。

また境内には龍の形をした木もとても印象的で、ここでも水とシンクロします。


御岩神社

常陸と日立の字が入る国常立命を筆頭として祀る御岩神社。

神仏習合の地であり、宇宙から宇宙飛行士が光の柱が立っているのが見えた場所とも言われています。

以前こちらでパワースポットツアーを行いましたが、久しぶりに訪れました。

その時は開始の15分前にいきなりピンポイントで集中的に雨が降り出し、ぴったり時間になって止みました。

山全体が浄化され、その後の山道も皆さん涼しく登ることができて良かったと言われたのが印象的でした。

今回も本殿と奥宮的な位置付けのかびれ神宮に繋げることができました。

ここは何度訪れてもまた来たくなる場所です。

鹿島、香取神宮と日高見国との関係についてもまた違う機会でお伝えできればと思います。